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Talkin' 'bout the Boogie / レーベル設立経緯と変遷

pt.1 : ネパールでの邂逅 ~ Lifetime Boogieの種

はじめに

 2012年にたちあげられたレーベル Lifetime Boogie 。その初動はたいした主義も意図もないものでした。
 旅先で偶然出会った奇妙なロシア国籍の男を日本に招聘するために会社をつくり、彼のアルバムをリリースするのに必要でレーベルを発足。ただ衝動と必然から成り立ったと言えます。
 でもそれは時に自然が起こす日々の奇跡のように、時にDNAに組み込まれた抑止の利かない成長のように。2014年現在ゆっくりと徐々に、まったくの予想外でありながら望んでいたものでもあるような楽しい何かへと変異しつづけています。

 Stories 最初の読み物は「Talkin' 'bout the Boogie」。 Greetings頁でも触れたレーベルの変遷をさらに深く掘り下げます。
 希代の変態学者でありミュージシャンでもあるイグナット・カルマリトと、それまでCalmのもとでCDのリリースやパーティー、ツアーの制作をしていた筆者。この2人が出会ったことで引き起こしてしまう珍事を紹介しつつ、Lifetime Boogieの考え方や、メインプロジェクト・CitiZen of Peace の謎を解き明かしていこうと思います。
 初回の鍵となるのは「ネパール」「旅人」「CitiZen of Peace」。平和の民を名乗る1人の男のアイディアと探究心が、日本という国へと繋がるきっかけまでをお話しします。

2011年7月のネパール - 偶然出会う

 念願のアジア片道チケットの旅へ出るため、前職をはなれた私は不明瞭な自分の今後に楽しげな妄想をふくらませつつ、2011年7月初旬の羽田空港にいた。期限は所持金が無くなるまで。ルートも決めず、下調べもせず、最初の目的地のみネパールと決めて出国。ネパール・カトマンズを出発地にしたのは、チベット仏教を慕う人々が住むヒマラヤ山岳地帯の村に行ってみたかったのと、THA BLUE HERBの影響だった。

 初めての1人アジア旅、日本を出て4日目のこと。カトマンズのカフェでお茶をのんでいると見知らぬイスラエル人女性に自分の名を呼ばれた。
 驚いて聞けば、数日前に共通の友人から私の特徴的な髪型と、近々カトマンズに訪れることを知らされ、もしやと声をかけたらしい。
 カタコトの会話の後、「明後日、友人のLIVEでVJをやるから遊びにきてよ」と1枚のメモをよこす。特にやることもなかった私は快諾。何のLIVEなのかもわからないまま何の期待もせず当日会場へと向かった。

 旅慣れぬ不安と共に見知らぬカトマンズの街を手探りで進み、夕方、郊外の会場にたどりつくと奥のステージではサウンドチェックをやっていた。早々に先日の友人を見つけ、またカタコトの会話。
 まもなくリハが終わり、痩せた怪しい男がステージから降りてくる。倍音たっぷりの渋い声と、ウェーブがかった長い髪。その奥にすいこまれそうな深い目を鈍く光らせるこの男の名は Attila Manju ー。これを読んでいる人なら近いうちに必ず知ることになるであろうこの人物は、年齢も国籍も、どんな人生を歩んできたのかも全く想像のつかない4次元的な雰囲気をもっていた。
 その後もアティーラや、欧州やイスラエルの妖しいヒッピー数人と会話をしていると、いつのまにか私のすぐそばに穏やかな微笑をうかべた髪の長い小柄な男が立っていた。尋ねると最初からそこに立っていたし、そもそもステージ上でアティーラとリハをやっていたらしい。
 空気のようなこの男とカタコトでも会話をしてみようと試みたが、英語云々以前にそもそも声が小さくてほとんど聞きとれない。何度も聞き返してやっと理解できた彼の名前は Ignat Karmalito といった。
 初めて彼を見たとき、理由はわからないが仏陀を思い浮かべたことをよく憶えている。そして会話にならないのであまり話したくないと思ったことも。これがインド生まれのロシア人、イグナットとの最初の出会いだった。

 LIVEがはじまると一変。トランシーなダンスミュージックを即興でくみあげていく2人。いきいきと踊りながら赤いショルダーキーボードを弾きまくるイグナットに、髪をふり乱し、深い声で即興のメッセージをつづるアティーラ。何より耳をうばったのはキラキラと跳ねまくっているトラックだった。

 終演後、英語が通じなくても音楽用語なら通じるということですっかり例の弾き狂いと意気投合した私は、心の内に小さなよろこびを感じていた。中学生程度の英語すらままならなくても、言語、環境、価値観のちがう相手と意志を通わせることができる。アジアの小国で初めて経験した「異なる価値観との融和」に興奮したのだろう。

 翌週、別の場所でのLIVEにも顔を出す約束をしてそれぞれの宿へと戻る。雨期のカトマンズ、深夜の郊外。旅慣れない私はたまに光る野犬の眼に少し怯え、すれ違う異色人種に緊張し、降り出した雨に堅く口を閉じて穴だらけの道をころばないように帰った。

CitiZen of Peace - Demo Tracks

  翌週のLIVE明け、打ち上げに盛り上がる店内の輪からはなれ、ステージの上にイグナットと2人で座っていた。あいかわらず聞きとれない声なので、かなり近い距離に肩をならべている。
 雑談をしながら彼の自作という楽曲データをコピー。英語がわからなかったので、それができたばかりの CitiZen of Peace のデモや、マスタリング前の Quantonic / Overmind のデータ、過去にイグナットがフルアナログでレコーディングをした楽曲などとわかるのはもう少し後になる。
 音楽の趣味も合うし、私の片言にもゆっくりと付き合ってくれる穏やかで実にいいやつのつくった音楽。純粋に聴いてみたいと願ってデータをもらったが、PCやDTMが広まってある意味 「 誰でも音楽を一定以上のクオリティで形にできる 」この時代に、「 旅先で偶然出会った外国人のつくったトラック 」というラベルは私にそれなりの期待しか持たせなかったように思う。
 イグナットはポルトガルのフェスへ向かうため明日ネパールを発つという。もう少しお互いのことなどを話し、またどこかで、運が良ければ日本で、と、そのときは冗談ぽくわかれた。
 いくぶんか慣れた暗い道をまた帰り、部屋に着いて一息、スピーカーをつなぐ。

 夜のBGM程度に再生した音楽に動きが止まる。内容以前にまず音質もしっかりしている。特に驚いたのは CitiZen of Peace の世界観だった。ラップトップ一台で完結した音楽などでは決してなく。どこで手に入れたのか素晴らしい鳥や森の自然音サンプルと、散りばめられた様々な民族楽器群。聴いていると夢見心地になる謎の感覚。
 もしや旅先の偶然の出会いと喜びというフィルターで良く聞こえすぎているんじゃなかろうか…。疑念にもとりつかれ、何度もくり返し聴く。
 そのうち心の内に、たくさんの疑問が湧いてきた。どこまでがサンプルでどこから演奏なのか、歌は誰が歌っているのか、レコーディングはどうしたのか、旅人で家を持たないと言った彼はいったいどんな制作環境なのか、などなど。
 これは明日、イグナットがこの国を出る前に確かめなければ落ち着かない。さっき彼から聞いた明日の出発時間は14時。その前に会えないかメールをして、興奮を抑えつつ朝を待った。

交差点 - Lifetime Boogie の種

 翌朝、いつもより早く起きたが返信はなく。まあ仕方ないかと、天気も良いのでとりあえず窓を開ける。下の通りに目をやると、いつもの微笑付きでふらふらとイグナットが歩いているじゃないか。
 なるべく大きな声で彼の名を呼んだが、気がつかない。慌てて5階の部屋から飛び出し、階段を降りて裏の通りまでぐるっと回った頃には既に姿はなかった。
 メールの返信はまだない。何か運命的なものを感じるという最もらしい行動原理をこじつけた私は、かすかに憶えていたイグナットの滞在宿を現地の友人に聞いてまわった。

 その宿の名を知っている人にたどりつくまで執拗に人を当たり、とうとう地図を書いてもらって探しに出る。ハッキリとした目的をもてば人間多少なりとも強くなるもので、Pagnajolというエリアを迷いながらも何とかさがし当てることができた。
 時間は13時。用意のいい人ならもう出た後かもしれない。その宿の庭に昨日あった別の友人がいた。

 案内してもらってイグナットの部屋をたずねると、彼はまるであせる様子もなく、まだ半分もまとまっていない荷物を前にしていた。
 やあ、と顔を上げて昨日別れた日本人を不思議そうに見る。そんなのんびりした男に構わず、昨日もらった楽曲が素晴らしかったこと、そして数々の疑問などをカタコトでまくしたてる私に、座りなおし、ゆっくりとした英語で付き合ってくれた。
 話は具体的になってきた。私は何とかこの音楽を日本に持っていきたい。イグナットは日本に行ってみたい。そしてもしかしたらCalmの仕事をしていたお陰で、私はそれができるかもしれないということ。
 ただし、彼は旅をつづけているので先のことは何とも言えない。私もまた、この旅をいつ終えるかもわからないうえに、こういった仕事を離れて帰国したらBARをやろうなんて考えていたのにどうしようという感じだった。彼に言うようなことではなかったが、やはり得体の知れない外国人を日本に連れてくるには考えるべきこともたくさんあった。

 話がその辺りまできてとうとう時間を迎えた。私たちはとりあえず連絡を取り合うこと、そしてどこかでの再会を希望しあってまたお互いの旅へともどっていった。
 ちなみに旅のメモによると、イグナットは会話の途中食事などもはさみつつ、16時半の国際線に乗るため空港へ向かって出発したのは15時過ぎ。空港まではタクシーで20〜30分。旅慣れた様子で「いつもこうなんだ」と笑って去っていった。

筆者の未来を揺るがした CitiZen of Peace の衝撃 - その起源へ

 このあとの旅の中で、私は長い移動のときなど特にこのことを考えた。その後も何度となく聴き返し、もはや夜のお供の定番と化した CitiZen of Peace の楽曲もその度に不思議な魅力を増していった。
 何人かの心当たりある日本の友人、先輩にはメールをし、なかなかの良い反応も返ってきている。
 だがしかし、日本で仕事をするにはとにかく謎の男すぎる。彼周辺の友人はアティーラ氏をはじめ、皆日本の現代社会に馴染めるか一抹の不安をおぼえるナイスな人柄だった。言ってみればヒッピーというカテゴリーに当てはめることができるだろう。

 彼はどうなのか。そもそもミュージシャンやアーティストとしてまともに活動をしたことはあるのか。そして、外国でこうもすんなりと人を信じてもいいものか…。とにかく、まずは自分の英語力が乏しすぎる。
 どのみちこの旅を続ける中で、もう一度彼に会わなければならない。帰国後にどうするのかも含め、いまは結論をだせない。
 そんなことを考えながらこの後私はヒマラヤに登り、ラオス、タイ、カンボジア、スリランカと回って南インドに入ったのが9月の終わり。更にその一月半後にニューデリーでイグナットと再会するところで一旦この話を中断し、次回の「Talkin' 'bout the Boogie」では CitiZen of Peace の誕生秘話やピグミーの人々との繋がりについて触れたいと思います。
 私の行く末をまったくわからないモノへと変えた CitiZen of Peace とは何で、どこから発生し、どんな核を持って活動しているのか。後にイグナットから聞いた話をもとに、「ガボン共和国(アフリカ)」「ピグミーの人々」「儀式」といった鍵を解いていきましょう。

次回、Lifetime Boogie Stories「Talkin' 'bout the Boogie」
pt.2 : CitiZen of Peace - ReRoot.

お楽しみに。